遅れてきた天才武将
・1589年に豊臣秀吉は、小田原城の北条氏に宣戦を布告する。
・秀吉は、伊達政宗にも北条討伐軍への参陣を求める。しかし、政宗はこれを無視して北条氏に協力しようとした。ところが秀吉が20万を超える軍勢で小田原城を取り囲むにいたったという知らせが政宗にもたらされ秀吉に屈しる。
・1590年6月、小田原城陥落の直前になって政宗は秀吉のもとへ参陣をはたす。・政宗は、参陣に遅れたことで領地を取り上げられ荒れた土地がわたされる。
・北上山系一帯では、政宗が領土としていた頃、多くの金が産出されていた。国替えで疲弊した政宗の経済力を取り戻す大きな基盤となった。
・キリシタンの技術を導入することによって鉄の大量生産が出来た。
・このころ秀吉による伴天連(ばてれん)追放令がだされキリスト教の弾圧を推し進めた。
・政宗は、秀吉の伴天連追放令を無視してキリシタンを保護して製鉄を奨励していた。また、領内で作られた鉄は鉄砲を作るのに使われていた。
・政宗は、標高130mの青葉山に仙台城を築く。
・家康は、政宗に江戸城の普請などを次々に命じる。普請にかかる費用は、藩の収入の3割にもなり、財政を圧迫していた。
・政宗は、スペインとの貿易を通じて外貨を得ようとした。
・政宗は、支倉六右衛門常長(はせくらろくえもんつねなが)をスペインとの交渉役にする。
・1613年9月15日、支倉や宣教師のソテロを始めとする総勢180人の使節団を乗せたサン・ファン・バウディスタ号が仙台領月浦から太平洋へと出帆する。
・使節団はメキシコを経由して1614年10月にスペインに到着する。
・1615年1月30日に支倉たち使節団は、スペイン国王フェリペ3世との謁見をはたす。
・政宗の通商条約案には、スペインとの自由貿易や政宗の領内でのキリスト教の布教を歓迎するなどということが書かれていた。
・支倉は、幕府を差し置いて政宗の領土をスペインに差し出すといった。
・1620年8月24日に慶長遣欧使節団が7年ぶりに仙台に帰国する。しかし、スペインとの交渉は失敗で終わる。
・支倉が帰国した当日、政宗は、領内のキリスト教禁止に踏み切る。・1636年5月24日に伊達政宗が死去する。享年70歳。
・1873年に岩倉具視を始めとする明治の遣欧使節団がイタリアで支倉が書いた書状を目にする。
伊達政宗は、出来る武将というイメージがある。当時、外国の愛人がいたり戦でも負けなしでどんどん領地を増やしていった。しかし、領地を取り上げられ僻地へ追いやられるなど厳しい目にもあう。
ここいらから運かどうかしらんが金を得たり鉄から鉄砲を作ったりと恵まれだす。キリシタンと組んで日本征服を企んだみたいだが、ここいらがあやういところ。
というのは、当時宗教は、領地を支配するために利用されていたからだ。イギリスが、インドに東インド会社を作るときもまず宣教師がいって布教をして人心を掌握したらしい。
島原の乱とかも美談ということになっているが、結局、神という分からない存在に教えというだけで、何より大切な命を落として戦うあたりが恐ろしさを感じる。
神というものを利用してるに過ぎないとおいらは考えてますが。もし、幕府がキリスト教の布教を認めたらどうなっただろうか?当時江戸時代初期にキリスト教徒の数の移行というのを何かで見たが爆発的に増えてた。。。
当時から貧しく虐げられている人が多かっただろうからそうゆう人が簡単に入信してしますのだろう。今も辛いことがあってそこに漬け込み入信させるということがあるからw
日本がキリスト教国だったらと思うと恐ろしいねw
願望百貨店
『ベルセルク ガッツ 限定モデル』・『セキレイ 松 限定カラーバージョン』のフィギュアや、"藤岡弘、"プロデュースの『藤岡珈琲』などなどレアなフィギアを多数取り扱っています。【KDM】 3,500円以上で送料無料の大型文具店!
KDM(ナレッジ・デザイナーズ・マート)は日本最大級の文房具のインターネットショップです。文具取扱数は3万アイテムを揃え、デザイン文具も豊富です。ぜひ一度ご来店をm(_ _)m欲しいものが見つかるお店 グッドチョイス★
ブランド家電・キッチン・健康・美容まで、何でも見つかるお店GoodChoice新装開店★商品はドンドン増えていきますのでお楽しみに♪モッズ・ヘア「プロフェッショナルシリーズ」
ヘアーファッション業界で世界屈指のトップブランド『モッズ・ヘア』から、待ちに待ったサロン仕様のプロフェッショナルツールが発売開始されました。くせ毛・縮毛・うねり髪を簡単にさらさらヘアに変えてくれます。
最近のコメント